弟子の道

取り戻すことのできない青春。
最大限に障害を乗り越え、生きゆかんとする人生。
人それぞれの使命が、あるだろう。生き方が、あるであろう。
宿命に流されていく人も、いるであろう。
怒濤のごとく戦い、独りぼっちで仲間もいない、友達もいない、

そのなかを、最大限に手探りしながら、生き抜いていく人もいるであろう。
同じ太陽に照らされ、同じ日々を送りながら、一生というものは、さまざまである。
共通の道を歩みながらも、同じ結果が出ないという矛盾も、あまりにも多い。

ともあれ、この世に生をうけた以上、満足に生きねばならない。
幸福に生きていかねばならない。

勝利の人生であらねばならない。

複雑きわまる宿業に翻弄され、
恐怖の緊張と痛みをもって生きねばならぬ人生は悲惨である。
侮蔑と非難に屈し、残酷な日々に敗れゆく生涯は、哀れである。
暗黒の宿命の心を、鎖を、断ち切る強さがなければならない。
悩み疲れて、この人生を終わってはならない。
苦しい現実から、また過酷な現実から、幻想を追い払い、唯一最高の青空を仰ぎながら、

満ち足りた充実の一生を、生き抜いていかねばならない。

善につけ悪につけ、誰人も、いつかは死別する。
その彼方の世界はいかなるものか。

此処では、なにゆえか、わからない。

釈尊が、生老病死を達観しながら、仏法を説いた淵源も、ここにある。
非情、有情を問わず、
生とし生けるもの、すべてのものが生死の大海で回転しているなかにあって、
「師弟」という大道を示し、残し、訓練したのが、仏である。

生命の生きる真髄を導いた、この道。
宵の闇を打ち破って、永遠なる知性と人間性と人格を、平和を、諸願満足の人生を、
説き開いた釈尊の教え。
これを仏法という。

その一貫して消えざる魂の鼓動は、
師と弟子という、不二にして冥合しながら、人類を昇華させゆく法則といってよい。

「師匠」と「弟子」。

これは、何ものにも勝る、人間にとっての根本なのである。

親子も大事である。
夫婦も大事である。
兄弟も大事である。
隣人も大事である。

すべて、総体的に大切であるけれども、
もっとも固い岩盤のごとく一体にして、太陽と月のごとく不二なるものは、「師弟」である。
この世に師弟に勝る実在はない。
世界中のすべての歴史においても燦然と輝く「師弟」の魂の凝結は、何を意味していたか。
今の時代、そして次の世紀は、
この一点を、もう一度、謙虚に正視眼をもって見極める、一直線の視力が必要だ。


 池田先生の随筆から 20006月 

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