【いつも創価学会と共に】 

S50年 高校卒業ー社会人。
S54年 結婚                        
S55年 7月 長男誕生
S56年 6月 再生不良性貧血を発症
S56年 12月入院 
S5612月入会 (体験談参照) 
     12月10日「青年よ21世紀の広布の山を登れ」が発表。
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S57 42退院
       (第2代会長の命日、入院100日目でした) 

S57年 第二回中部青年平和文化祭に参加       A 
     牙城会のメンバーになりました           B
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S58年 3月16日 地区リーダー  
     人材G 「獅子吼グループ」
               
S59年 11月三重池田青年塾完成 
S6012月10日 第1回中部総会 中部池田記念講堂
      この年、三重研修道場他各地の男子部夏季研修に参加

  同年 開目抄研究グループに参加
      他 全国各地の男幹に参加させていただく
      男幹でO男子部長の獅子吼、
      そして扇子が壊れる学会歌指揮に遭遇
   中部大学校1期生(地区リーダー)    
S61年 第7SGI総会参加 師匠御夫妻 
     第7回世界青年平和文化祭
  同年
    「自然と平和の対話写真展」
    「教科書展」
 等
S62年 幸の風中部の空 中部池田記念講堂2階
    「SGI広宣同志の碑」に名を刻んでいただく   C D
S63年 「青年世紀の年第一年」と命名
 師が本部で再び指揮を執ってくださる事になった年

 この千載一遇の時に、
 青年部として訓練を受け抜いたことは我が人生最大の誇り。

H元年 岐阜県多治見市へ転居
H2年 .4.2 (第二代会長の33回避法要のことから)
    大法要 仇を討てとの 響きあり
          君らの使命と 瞬時も忘るな」

  同年 年末 池田先生総講頭罷免  第2次 宗門問題
H3年 創価学会による登山会を終了
      男子部を卒業となりました
H6年  中部大学校 7期(壮年)
H8年  中部大学校 8期(壮年)

H11年 7月    B長
H1212月10日初代B長任命
H15 年  3月    地区幹事 兼任
H15 年  7月    地区部長 任命

H16年11月18日地域貢献賞を頂く            E
H18年 4月    病治療再開、「副役職」

 「企業戦士」として
保守系大手電機メーカー系列の総合商社に勤務
商社なるも我が職種は建設業界、セールス&エンジニア。
学会員となるも自社はもちろん、関連企業内には
三色カラーを掲げている方(会員)は皆無であった。が、
57年勤務先へS新聞啓蒙を機に「実は私も会員」と同志の声あり。
4半世紀後の現在では、事務所各階にてS新聞を購読。感謝。
 賞罰
S53年 親会社(メーカー)所属部長表彰
S53年 支店長表彰
S54年 親会社(メーカー)支社長表彰
S63年 支店長表彰
H 7年  支店長表彰

H10年 支店長表彰
H11年 社長表彰   

BGM付
  中部の歌 
「この道の歌」

A

B
C

D
E

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