1/200  戦時急造駆逐艦  橘  (たちばな)

終戦間際の昭和20年に作られた駆逐艦を作ります     船体は直線的に設計され 戦時急造であることが判ります   (模型は返って作りにくい構造です)  資料は 原書房 日本海軍艦艇図面集「橘」の正面線図 と 光人社 写真日本の軍艦 別巻2 海軍艦艇図面集U(作図 加藤辰雄)を 使いました  同型の「初桜」 (艦艇保存会機関紙 連合艦隊誌 64号、87号 製作 前島さん)を参考にしました

日本海軍艦艇図面集の線図

正面線図 をコピー して  ベニア板に張る

いつものとおりの手法で 肋骨を切り出す

竜骨に肋骨を乗せてみる 

全長約50cm   でも 構造は 1m級と同じ

船底をヒノキ角材で貼っていきます

甲板上の構造物を製作

煙突横は10m特型運荷船(小発)



特型運荷船には17、15、14,13、10mの5タイプがあり  17m型を「特大発」 15m型は木製船体なので「木大発」 14m型を「大発」(だいはつ) 13m型を「中発」 10m型を「小発」と呼んだ

主砲は89式12.7cm連装高角砲 ×1    89式単装高角砲 ×1 

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92式4連装魚雷発射管 は生産された基数が最も多い  
「橘」に搭載した魚雷は4本のみ

「スリップ止め」を製作して 貼り付けた

製作開始 2013−10      完成 2014−1−15 

撮影 2013−10−25

リノリュウム止め は 毎度のマイラップテープを使用

25mm単装機銃を量産
陸軍では口径11ミリ未満を機関銃 11ミリ以上を機関砲と分類したが 海軍ではすべて 機銃と呼んだ

完成 2014−1−15

戦時急造の特徴ある直線的な船尾

一番砲は木製の操作フラットが前甲板の巾一杯に広がっており 非戦闘状態では操作フラットの両端を折りたたんで通路を確保した

後部の2番砲は設計が昭和4年 昭和8年に制式化され 昭和10年頃 実用になるようになった

高角砲の開発で 性能の基準としたのは時速350km/hの 敵急降下爆撃機が 高度5500mで進入し これが急降下に移るまでの約100秒間に 高角砲1基(2門)あたり 60発の弾丸を発射し 2基の120発で 必中弾を得るものとした   

初速1000m/sec  最大射程19500m  最大射高14700m   発射速度毎分19発   砲身の寿命は通常の高角砲の1000発に対し350発とされる

太字 は軍艦メカニズム図鑑 「日本の駆逐艦」  森恒英 著 から 引用

昭和16年以降に作られた艦船の艦底は それまでの赤茶色ではなく「緑色」に塗られていたという 福井静夫説がある(大和も16年の進水)が 今回はこの説に従わず 赤茶色の艦底色を使った

戦艦大和のリサーチ はこちら

断面図を見ていたら・・・ ビルジキルーの形状の間違いを発見     キルーの断面は一般的に三角形だが 戦時急造艦「橘」のキルーは簡素化された「板状」である     せっかく完成したキルーをむしり取る

0.5mmのプラ板で再製作する

修整して再塗装する  チョッと見には ほとんど 変化なし

日本海軍で「軍艦」と呼んだのは 戦艦 巡洋艦 航空母艦 施設艦 海防艦 砲艦練習戦艦 練習巡洋艦 の 8種類である
駆逐艦 潜水艦 水雷艇 掃海艇など は「軍艦」扱いではなかった(極端な話 消耗品)    艦首に菊花紋章があるのが「軍艦」であった


ビルジキルーの取り付け位置