謗法厳戒が創価の精神
師の指導から 1988-9-7 創価文化会館
器いっぱいにたたえられた清水も、毒物を一粒入れたら、もう飲むことはできない
妙法はあまりにも清らかな法であるがゆえに、謗法へのいささかの妥協も許されない。
個人の信心においても、大聖人は、
「何(いか)に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、
うるし(漆)千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し」(1056頁)
―いかに法華経を信じておられても謗法があれば必ず地獄に堕ちる。
それは、あたかも千杯の漆があって、蟹の足一つを入れたら、全て効力を失ってしまうようなものである―
―と厳しく御指南されている。
広布の世界もまた、いささかの濁りも許されない。
妙法の信心を永遠に純粋に伝え、広めていかねばならない。
ゆえに謗法・反逆とは妥協なく戦わざるを得ない。
また、そうした悪の存在は外に出てもらった方がありがたいのである。
日興上人がお示しのごとく、ここ大聖人仏法の、絶対に平等にして、厳粛なる「法の世界」がある。
在家の男女が持(たも)つべき五戒がある。
殺生・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃいん)・飲酒(おんじゅ)・妄語をしてはいけないというもの。
だが、末法無戒だから、我々が持つのは金剛法器戒のみで、受持即持戒となる
ただ一つ、肝に銘じておかなければならないことは、
「組織利用」という大謗法。*
中心者にわずかでも濁った精神があれば、後輩が必ず苦しむ。
とは言うものの、どんな組織にも濁りはあるものだ。
また、どんな人にでも何らかの濁りがあろう。
様々な理由をつけて、見て見ぬ振りをしていると、濁りは着実に広がってゆく。
どこまでも広宣流布の結果と、会員が功徳に浴している姿で勝負するのが学会魂
信心と関係のないことで、会員に金銭的な負担をかけることがあってはならない
相手が学会員であることを知りながら、金の話をすること」は、一切が組織利用。
学会本部として、組織でのチケット販売を認めているのは、民音のみ。
(*:言い換えれば、信心利用、会員利用、先生利用…)
「組織利用」に関する指導等